庭木実のるデス

庭木実のるのブログ

日本国憲法第3条(天皇の国事行為と内閣の責任)

天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

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天皇の国事行為=内閣の助言と承認を必要とする

天皇の国事行為=内閣が責任を負う

(⚠このシリーズで用いている「=」は数学的な意味での左辺と右辺が全く同一ということではなく、左辺が主題とすることがらを表し、右辺がその内容を表しています)

承認を必要とするんだから責任を負うのは当然ですね。

なんて単純明快なのでしょう。


それはそれとして、昨夜、国語教育について人と話す機会がありました。そこで話していたことを踏まえての現在の見解を雑にまとめておきたいと思います。

私は、なにゆえ国語教育に重きを置いているかというと、政治・経済・技術・文化のいずれの分野に於いても、言語が適正に用いられなければ、混乱をもたらす恐れが大いにあると思うからです。

世の中を良くしていく上で、具体的な働きとして何が重要か、ということについては、前述の、政治・経済・技術・文化など、様々なことがどれも重要だと思うのです。

そして、それぞれの興味や能力の守備範囲に応じて、色々な形の働き方があると思いますし、みんな、それぞれの分野で頑張って欲しいし、お互いに讃え合うと良いと思います。

その、違う働きを認め合うためにも、同じ働きの中でのチームワークのためにも、言語をベースとした色々なコミュニケーション能力というのが、潤滑油として、とても重要なものだと思うのです。

私はたまたま、言葉の意味の取り違えによって、コミュニケーションがうまくいっていない場面に遭遇すると、ウガガーとなってしまう性質を持っているので、その分野についてなにがしか、発信していくのが良いのではないか、と思っているわけです。

まだ、試行錯誤を始めたばかりではありますが、円滑で正確なコミュニケーションの実現というのが、私の願うところなのであります。